子どもたちのサイン

 今日のアトリエは、お母さんたちのお悩み相談会のようになっていた。オーナーの先生は、お母さんたちからの相談に次から次へと答えている。なので子どもたちの相手はもっぱら私の担当となった。

 一人一人がちゃんと自分の創作をしているので、そんなに手はかからない。どちらかというと、私は話を聴く相手といった役割だ。低学年の子たちの会話は可愛らしいので、合いの手を入れやすいのだが、小学校中学年〜高学年くらいの子になると、会話の展開が早かったり、下ネタを楽しんだりするので、どう返していいか分からない時もある。分からないので、私はただただ話を聴きながら、ふんふんと相槌を打つことにした。

 どうやら子どもたちはそれで満足な様子だった。話を聴いてもらっているということが大事なようだ。そして、作業をしながら、なんとなく私の膝に膝を触れてきたり、身体の一部が私に触れるようなポジションに座ってくる子もいる。触れていたいのだろう。それはきっと、寂しさのサインだ。

 親が他のことに関心が向いている時、子どもは自分を見てほしいサインを出すと思う。分かりやすく荒れて関心を引く子もいれば、ノンストップで話し続ける子もいれば、そっとスキンシップを求めてくる子もいる。触れながら、話に耳を傾けることは、それだけで「あなたのことを気にかけているよ」という承認になるのだと思う。

 うちの2人の子どもたちも分かりやすい。どちらかが順調だと、どちらかが荒れる。それはまるでシーソーのようだ。心穏やかな時はないものだろうかと思う。親のキャパシティーの問題はあるけれど、順調な時も子どもに丁寧に関わってあげることが大切なのだろう。

 最近は受験目前の娘に親の関心が傾きがちだ。そうすると、息子の態度にちょっとずつ崩れが見られる。これは、もっと僕と関わってというサインだ。息子と関わる時間を多めに持とうと思う。

 そのためには、やっぱり親の気力と体力を底上げする自己基盤が大切だと、改めて思う。



365日の展覧会

はは、むすめ、むすこのアートな日々

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