同じ小学校の保護者の方で、時々会う方がいます。お互いに子供を学校まで送ったタイミングで会うので、なんとなく話すようになりました。
久しぶりに会ったその日は公開授業で、私は参観時間までどこかでお茶でもしていようと思っていました。私に会えたことをすごく喜んでくださって、「メールしようかと思ってたんです」と。少しお話することにしました。
息子とはまた違うタイプの息子さんを育てている方で、本当に色んな特性を持った子がいるんだなと思います。私はふんふんとお話に耳を傾けます。
ひとしきり話し終えたその方は、「私ばっかり話しちゃってごめんなさい。mumさんはなんか分かってくださるから嬉しくて。他の人に聴いてもらっても、分かるよって言ってくれるけど、多分本当の意味で分かってもらうことはできない。mumさんは理解して聴いてくださってるのが分かるから」
そう言われて、私だからできることに気づかせてもらった気がしました。私は特性のある子を育てる親御さんの気持ちを、自分の経験と重ねて想像することができる。日常生活をスムーズに送ることができない困難さや、それを周囲と分かち合えない孤独感、子供の対応に答えのない世界で何か良い方法はないかと探し続ける日々。親御さんが抱えているその気持ち、私も通ってきたなぁと思います。
その背景を持った私が話を聴くこと、そういう場を設けることだけでも、意義があることかもしれないな。私もそういう場を求めていたから。笑顔になったお母さんを見て、そんな風に思いました。
息子が描いた「赤ちゃんのお耳」。「すうじのうた」に出てくる「3」の歌詞です。傾聴ということで耳の絵にしました。
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