伝えたいことが伝えられないというのは、どういう気持ちなんだろうと想像します。
先日の理科の授業で、息子が学校の備品を壊してしまったことがありました。その出来事が息子にとって強烈に残ってしまったような気配があります。「気配」と書いたのは、息子がそれを自分の言葉で伝えることができないからです。でも分かるのです。明らかにその日から、息子の様子が変わったからです。
ある備品を割ってしまったという現象が、息子にとって強烈だったのかなと想像していました。何かを割るという体験は普段あまりしないものです。映像として鮮明に残ってしまったのかもしれません。
ところが、あれから2週間ほど経った今日になって、息子が別のことを言い出しました。
「あの時の赤鉛筆、どこ行っちゃったかな」
「理科の教科書に挟んでいたの。赤鉛筆。どこかに行っちゃったらしい」
そう自分で説明してくれたのです!そんな風に説明できるなんて、すごい進歩です。
自分の物を失くしてしまったこと。それを引きずっているのかもしれない。もしかしたら息子がこだわっているのはそのことなのかもしれない。そう思いました。きっと息子にとっては、たかが赤鉛筆ではないのです。息子の筆箱には新しい赤鉛筆を入れていますが、きっとそういうことではないのです。
あの時、赤鉛筆を失くしてしまったのが嫌だった。教室を出された時に、赤鉛筆を置き去りにして、そのまま失くしてしまった。それが嫌だった。そう自分の言葉で伝えることができたなら。きっと息子は、私には想像できないほどのもどかしさや悲しみを抱えて生きている。だからそれが声になるのだと思います。
2週間もの時間をかけて、ようやくそれを伝えることができたんだなと思いました。
赤鉛筆が見つかるといいな。そんな願いを込めて、連絡帳で先生に伝えました。
たくさんの言葉を浴びるけれど、それを自分の言葉で返せない世界。息子はそういう世界にいるということを、忘れてはいけないと思いました。
0コメント